希望大国ブラジル(その6) -不毛の大地を誇りに変えたセラード開発

希望大国ブラジル(その6) -不毛の大地を誇りに変えたセラード開発

不毛の大地を誇りに変えた セラード開発

 航空機の窓から見下ろすと、巨大な円形の農地が地上絵のように、いくつも地平線まで続いていた。南米ブラジルの中央部、「セラード」と呼ばれる熱帯サバンナ地帯。灌漑されたまるい農地の一つ一つが、この国の「希望」を描いていた。

 首都ブラジリアから南へ180キロ。ゴイアス州の小さな町を訪ねた。上空から円形に見えた農地は直径860メートル。見渡す限り大豆の濃い緑の葉が風に揺れていた。まるい形をしているのは、灌漑用の大型機械が円の中心を軸に24時間でひと回りして散水するためだ。

 農場主の一人、オズマル・サルバラジオさん(44)は一家で東京ディズニーランドの15倍に当たる790ヘクタールの農地を耕し、主に大豆を栽培している。わが国の農家の平均農地は2・2ヘクタール。イタリア系の大柄なサルバラジオさんは「世界が必要としている食料を、わが手で生産していることを誇りに思う」と話した。

 BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国)と総称される新興国の一角、ブラジルの上昇を豊かな資源が支えている。特に農産物は、FAO(国連食糧農業機関)の2008年の生産統計によれば大豆が5924万トンと米国に次いで2位。サトウキビ、オレンジ、コーヒー豆は1位だ。

 「大豆王」と呼ばれる巨大農場主も各地に生まれ、バイア州西部の辺境地帯にある企業農場は4万3千ヘクタールの農地で大豆と綿花、トウモロコシを輪作し、年間に大豆2千万ドル(約16億円)、綿花1億4千万ドル(約114億円)を全世界へ輸出している。

 セラード地帯は2億400万ヘクタールと日本の5・5倍、ブラジル全土の24%をも占める。ポルトガル語で「閉ざされた」を意味するセラードは、かつて土壌と気候の問題から作物の育たぬ不毛の大地だった。希望の農地へと変えたのは、日本とブラジルが官民合同で行った国家プロジェクトだった。

 プロジェクトを担った日伯合弁の農業開発会社「カンポ」のエミリアノ・ボテリョ社長(63)はブラジリアの本社で「この地が日本の資金と技術で世界の穀倉地帯になったことはブラジルと日本の両国にとって誇りだ」と話した。

 37年前、不毛の大地に当時の田中角栄首相が降り立った。

果実」はそっくり中国に

 1974(昭和49)年9月16日。田中角栄首相を乗せた日航特別機はブラジル上空を飛んでいた。眼下には不毛の大地セラードが広がっていた。

 セラード地帯の中央に位置する首都ブラジリアで、ガイゼル大統領と会談した田中首相は「広大な国土と豊富な資源のある貴国との提携を深め、資源の長期的、安定的な供給を確保したい」と持ちかけた。

 前年の73年、わが国は石油ショックと米国による大豆禁輸という2つの危機に見舞われ、田中首相は「資源外交」に乗り出した。訪伯直後に文藝春秋が掲載した2本の記事が発端となり金脈問題を追及され首相辞任に追い込まれたが、彼が敷いた路線は79年から2001年まで22年にわたった「日伯セラード農業開発協力事業」に結実した。

 わが国は、この事業によって7州21カ所で計34万5千ヘクタールの農地を造成し、灌漑を整備し、入植した717戸の農家を支援するため、投融資を実行した。融資は日伯で折半し、日本のODA(政府開発援助)は279億円に上った。さらに技術協力を行い、延べ115人の専門家を派遣した。セラード開発の生みの親であるアリソン・パウリネリ元農相(74)は「当時のわが国は米国の技術に頼らざるを得なかった。日本は必要とした人材を派遣し、精密度の高い器具を多数贈与して、長年にわたり協力してくれた」と話す。

強い酸性土壌

 セラードは有史以来、強い酸性土壌のため、見捨てられた土地だった。

 ミナスジェライス州のセラード地帯にあるカンポ社農業技術センターのジェラルド・リマ所長(50)によると、土壌のpH(ペーハー)濃度の理想は6程度であるのに対し、セラードは4・5から5。リマさんは「5より低いとアルミニウムの害が植物に現れる。小さな差のようだが作物の栽培には決定的な悪影響を及ぼす」と説明する。

 酸性を中和するため石灰を入れて土壌改良を施し、合わせて品種改良と、大型機械による灌漑を進めた。

 80年から3年間、栽培の専門家として農林水産省から派遣された岩田文男さん(79)は「われわれ以前に米国の大学院生らが研究に来ていたと聞いた」と振り返る。研究の結果、セラードで大豆を生産できることが分かったことから、未来のライバルとなるブラジルへ技術を与えないため引き揚げたという。

失われる森林

 「セラードでの大豆の増産分がそっくりそのまま中国へ輸出されている」

 伊藤忠ブラジル元社長で97年からカンポ社の日本側代表である副社長を07年まで務めた筒井茂樹さん(75)はこう指摘する。

 セラード地帯で生産される大豆は、75年の31万トンが09年は3682万トン。34年間で118倍に増え、ブラジル産大豆の6割を担うまでになった。

 ブラジルの大豆輸出は09年、2586万トンで米国に次ぎ2位。このうち中国向けが1594万トンと61%を占める。00年からの9年間で9倍近く増えた。中国は大豆を自給していたが、所得向上に伴って植物油や食肉の消費が急増し最大の輸入国となった。輸入量は97年の287万トンから09年は4255万トンまで増えた。

 筒井さんは「ブラジル一国が中国の食料危機を救っていると言える」と話す。

 中国への輸出が増えるとともに、セラード開発は90年代から世界最大の熱帯雨林、アマゾンの南部マトグロソ州などへ広がった。その結果、同州だけで97年から07年までに、ほぼ北海道の面積に相当する760万ヘクタールの森林が失われたという。

 地球の反対側で興隆する大国、ブラジルの実像を伝える連載の第2部は農業や鉱業、石油といった資源をめぐる現状を報告する。

―産経ニュースからー

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