間違えた「ブラジルの木」

間違えた「ブラジルの木」

ブラジルという国名の起こりが、赤色染料をとるパウ・ブラジル(ブラジルの木)から来ていることは良く知られている。

 

ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス等が争って海外の植民地を求めたのは、当時ヨーロッパでは貴重品の染料、香料、香辛料、生薬を獲得するのが目的でもあった。

 

パウ・ブラジルは、アマゾン河口から、マラニオン、セアラーの海岸地方の山地に生えていた木で、昔はかなりあってインジオが布の染色に用いていたが、16世紀の初めにかけてポルトガル人が入り、この木を眼の敵にして伐りまくった。

 

そのため、僅か100


年のベレン創立から始まるが既にその数十年前から、抜け目のないイギリス、オランダ、フランスの商人達はアマゾン下流に入り込み、インジオを使ってアマゾンの新産品を集めて本国に送っていた。

 

彼らが扱った商品は、ピラルク、ペイシボイの乾物、ウルクー、パウ・ブラジル等の染料、油脂類及び薬草で、イギリスなどはわざわざアフリカから黒人奴隷を連れてきて、シングー河下流やグルパ地方で棉、タバコ、砂糖キビの栽培をおこなったほどである。

 

ただし、お目当てのパウ・ブラジルは、アマゾンというよりマラニオンに多い木だから、この木に関しては余り成果を挙げられなかった。

 

ポルトガルのアマゾン開発も、こうした外国勢が先住しているのだからなかなか大変で、長い間攻めたり、攻められたりを繰り返しながら、要約外国勢を駆逐し、大体現在の国境線に落ち着いたのは18<サンパウ所新聞 アマゾン学のすすめ>から

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